山行期間 | 2012年4月7日(夜)~8日 |
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メンバー | KWI, KNS, SGY, KDR, MYG, MYI, ITN, KMR, SMD |
山行地域 | 御在所岳 |
山行スタイル | 担荷 |
午前5時30分起床。食担のメンバーが準備してきたチーム初の朝食を、皆で調理を分担し作った。具だくさん野菜たっぷりミネストローネのようなスープ、コッペパン、ロールパン、パンに挟む具材(シーチキンとキャベツの千切りを炒めたもの、チーズ)、ゆでたまご。さすが女性だ。息苦しいテントの中で食べているとは思えないような、バランスのとれた食事は、これから間もなく石を背負うことになることを忘れさせてくれるように優しく美味しく、食事を楽しむことが出来た。ごちそうさまでした。
午後7時過ぎ。ロープウェイ駐車場から改めて車で移動し、登山口へと向かう。しかし、鈴鹿スカイライン、蒼滝付近トンネル手前の裏道登山道登山口へ向かう途中、登山口数百メートル手前でゲートが閉められ通行止。やむなく、われわれはゲート手前で車を停めて、登山口へと向かうことになった。舗装道路を歩くこと数十分。ようやく出発点、裏口登山道登山口へと到着。
気持ち切り替え、休むことなく、隊列を決めいよいよ山行開始。
いやもう始まっていたのか。
数十分後、小川を越えた辺りで一旦荷を置き、石か岩かを集めバックに詰めよとの指示が下された。リーダーは、忘れていなかった。
各自15kg、20kg、25kgあたりで設定し、袋に詰めては計り、詰めては計り微調整していく。5 kgや10 kg増えたところで始めはそんなにわからないが、これがジワリジワリと肩に食い込み、腰を、ハムストリングスを硬化させていく。担荷開始。
これまでは汗をかいていなかったが、少しずつ汗ばんできた。天気も快晴で、日差しが強くなってきていたこともあった。途中、土砂崩れや有ったはずの森林や景色が無くなっているという以前の豪雨による爪痕を目にしながら、藤内小屋へ到着し休憩。そこでも象よりも大きそうな岩がゴロゴロしており、土砂崩れの影響で流されてきた落石もあったようだ。藤内小屋の奥の建屋の修理が続けられていた。
ここからは国見尾根から国見岳を目指し、厳しい直登を繰り返しながら進み、時間とともに日差しもきつく、温度も上がっていった。ゆるぎ岩が近付くにつれ、魅力的な岩場も増えていった。そして、その途中、見上げれば今にも落ちてきそうな岩が積み上がっている様子が目にできた。まるで神の手で積まれたとしか思えないその岩ゝは、山岳地帯ではよく目にし、いろんな意味を持つという巨大なケルンのようだった。また、序盤からチラホラ見られた雪が、高度が上がるごとに増してきていた。
国見岳を後にしてまもなく、今まで稼いだ高度を吐き出すようにぐんぐん高度を下げていった。雪解け水と、岩場が続き、足場も注意が必要なところを下っていき、峠を境に登り返す。中道と合流後、御在所岳へと向きをかえ、進むにつれて雪深さが増していった。気がつけば完全に雪道を歩いていた。季節錯誤しそうなほど雪が残っていた。
雪のせいとはいえ、腐った靴のソールに尻餅つかされるのは腹立たしいので、ステップに集中し、歩を進め、気づけば頂上付近、遊歩道に上がる手前だった。一番踏み荒れている場所だけあって、雪質も悪く油断すると滑りそう。集中して歩道まであがりきり、一先ず、ほぼ登頂。記念撮影後、改めて歩道をたどり一等三角点のある頂上へ。そこから山頂までの道のりでは、森林も抜け、舗装路ということもあって、日差しと照り返し、単調な勾配は、なかなか疲労感があった。
下山は武平峠方面から鈴鹿スカイライン沿いの登山道を下った。視界が開け山肌が見え、稜線、山脈、深い谷と雪化粧、岩場は、ここが大阪から2、3時間の場所とは思えないほど山深さを感じさせ、開放感があった。太陽に照らされた西側そして南側の御在所岳は、武平峠に近付くに連れ雪はほとんど無くなっていった。程なく景色は変わり、林を抜け、単調な景色の連続へ、現世へと戻っていった。
帰路に立ち寄った温泉では、負荷から更に開放されたようで、一日の疲労が吹き出してきた。それは充実感でもあったし、また更にすばらしい山に挑むための成果でもある!と哲学的な感じでそれを実感しながらも、まだ次の山の事は考えるのも、満腹な程に疲れきっていた。それでも回復後には、また、次の山を思ってワクワクするんだろうが。
(SMD記)
<山行記録>
裏道登山口7:30→藤内小屋8:50→国見尾根→国見岳11:35→御在所岳12:50→武平峠→裏道登山口15:50