2004年の山行Index > 

冬山合宿 中崎尾根〜笠ヶ岳縦走

2003年12月27日〜2004年1月1日
L北山、山内、杉山、名越、有永、岡本、島、坂口、角田、石井、湯淺

2003年12月27日(小雪)
 新穂高温泉の床暖房のトイレにはおじさんが数名寝息をたてていた。どこを登るのかわからないが我々が先に出発できそうだ。遠くに見えるはずの笠ヶ岳は雪のカーテンで閉ざされていた。これから始まる6日間を思うとわくわくする。少々不安はあったが。  意気揚々と取り付きに向かうが、トレース発見。先をこされてしまった。しばらくは標布とトレースに導かれて歩く。途中からトレースは新雪で埋もれてしまっていた。ワカンを履いて、皆でラッセル。この日は急登もなく雪も膝程度。場所によってはルートが判然としないところあり。テント設営完了時には夕闇であった。

    

12月28日(快晴)
 昨日よりやや傾斜が急になる。トレースはやはり雪で埋まっている。急な斜面でのラッセルはコツが多少必要で有永さん指導のもとラッセルを繰り返す。「100%の力をだせ!」と先頭をあおるSL。早いピッチで次々と交代する。天気が良いとラッセルも妙にたのしいと感じる。  左手に笠ヶ岳が見えた。確かに遠い。そりゃそうだ。今日はまだ2日目。途中のピークを越えると槍・穂高が姿を現した。皆しばし立ち止まる。今回は遠くから眺めるだけというのが残念。  奥丸山手前のコルからの登りは遠目には急であるが実際はワカンで登れた。奥丸山を越え、適当なとこを幕営地とする。天気は良く時間の余裕もあったので結構のんびり出来た。槍の夕焼けはテント内でくつろいでいるうちに終わってしまった。  幕営地から飛騨沢を詰める単独行者を発見。あの単独行者のように雪質判断と行動力が身に付くのはいつの日か。

笑顔たち 笠ヶ岳遙か
笑顔たち(角田さん撮影) 笠ヶ岳遙か
    

12月29日(晴れのち霧、地吹雪)
 昨夜は端で寝たせいか寒さが厳しかった。今日は弓折まで足を延ばす計画となった。天気もわるくない。行けるな、と思ったがこの考えはかなり甘いことを思い知る。
 今日からはアイゼン・ピッケルを装備。のっこしへの最後の登りは雪はほとんど付いておらず、岩と古いフィックスロープが出ていた。緊張させられる箇所だ。
 稜線に出ると強風。偵察の時とはえらい違いだ。休憩もままならず縦走開始。強風ではあるが樅沢岳への視界は良好。途中、ツェルトをかぶっての休憩。こういった休憩は初めて。GPSによるとまだ先は長いようだ。空にはどんよりした雲が広がり、天気は明らかな下り坂。冬山の荒天時がどんなモノか知らない私はさして気にはならなかった。何も知らないのはある意味幸せかもしれない。
 稜線上では強風で雪は飛ばされラッセルは無かった。ただハイマツ上のクラストした雪は踏み抜いたりふつうに歩けたりが一歩ごとに違うのが何だか疲れを感じる。途中ピークを巻いてトラバース。そのまま支尾根に入ってしまった。すぐに山内さんが気がついてくれて助かった。
 風は徐々に強まり、話に聞くビュンビュン状態になった。樅沢岳の手前では少々の降雪と舞い上がった雪で視界も閉ざされた。風の切れ間に見える景色と磁石が頼りとなる。もう少しで頂上、というのは勝手な希望で、登り斜面は風雪の中にまだ続く。視界不良と強風で極端に行動スピードが低下していたため登りが長く感じる。最後の登りはわりと急で雪面がしまっている。変なタイミングで強風にあおられるとバランスを崩し滑落しそうでひやひやした。さらに目出帽が呼気で湿って、2度窒息しかけた。
 樅沢岳の看板が見えたときはさすがにほっとした。が、風はいよいよビュンビュンビュン状態。極度の耐風姿勢を強いられる。この耐風姿勢も時折崩され、よたってしまう。小屋への下りで山内さんのマットが飛ばされたときはメンバーの誰かが飛ばされたかと思い目茶あせった。
テント設営はあきらめ小屋に転がり込む。こういうとき小屋はありがたい。一人1000円の価値はあるような気がする。
ともかくこれで第一ステージはクリアーである。(湯淺)

12月30日(霧のち晴れ)
 予定通り4時半起き。だが、小屋の窓から顔を出すと、ガスのため視界不良。夜が明けるまでとりあえず待機とする。7時を過ぎ、明るくなっても状況は変わらず。出発体勢のまま9時の天気図まで待機する。
 9時の天気図で前線は十分に離れ、これから回復傾向にあることを確信。とりあえず今日中に弓折を越えておけば安心と踏んで出発する。
 出だしはだだっ広い斜面をコンパス頼りでトラバース、進んでいく内に急速に天気が回復し、稜線に出る頃にはすっきり晴れた展望に恵まれた。この日、午後より半日風は冷たいが冬晴れに恵まれ、角田さんは写真撮影に忙しい。
 弓折までのつもりが、昼過ぎにあっさり到達したので、そのままいけるところまで行くことにする。このペースだと予定通り秩父平まで行けそうだ。東側に張り出す雪庇に気を配りながら、この日は皆でラッセル三昧。
 秩父平の手前、ルートが大きく右へ屈曲する地点で本日の行動をうち切る。今晩は強風が予想されるため、ブロックを積み、念入りにテントを張る。明日はいよいよ秩父平に突入する。どこにルートをとるべきか、遠目に見ているとどこもやばそうだ。結局行ってみないと解らないというところに落ち着いた。
 日が暮れて、なぜか無風で空には星が勢いよく輝いていた。しかし10時の天気図を時間通りに見て、明日の天候悪化を予感する。午前中だけはもってほしかったが、そういうわけにもいかなさそうだ……。
笑顔たち
雪原
        12月31日(吹雪)
 テントを完璧に張った甲斐あって、夜半の風などものともせずに朝を迎える。交換したばかりのヘッドランの電池がいきなりダウンして何の役にもたたない。
秩父平の底まで達し、いよいよ問題のルンゼ。すこし偵察に出て、ルンゼ沿いに登ることを決める。ビーコンを装着し、念入りに各自5mていどの間隔をあけるよう指示を出して、ルンゼに踏み込む。コンパスで方向を合わせ、一直線にラッセル。解ってはいたが、どうしても方向がひんまがって、後ろを振り返るとトレースがグニャグニャしている。
偵察の写真で記憶に残っている、特徴的な岩を目指してひたすら高度を稼ぐと、思ったより早く稜線に飛び出した。再び全員揃ったのが8時前、何とか核心部は通過できて一安心。
ここからは風とガスの中、忠実に尾根を辿り笠を目指す。ほどほどにウィンドクラストしているおかげで、ペースがはかどって助かった。2792mピーク手前のジャンクションでは無事標布を確認してほっとする。
抜戸手前のコブより西へ伸びる枝尾根へ入ってしまい、GPSの表示で早めにマチガイに気づく場面もあったが、その後は順調に主稜を辿る。風が強いため、抜戸岩まで一気に行くつもりであった。ガスが濃密なため、時折立ち止まっては視界の回復を待って目標を定めては一気に進む。午後から二つ玉に伴う強風が予想されたため、なるべく早く進んでおきたかったのである。
抜戸岩で1本入れて、その後は笠の小屋までもう一息だ。夏のテン場から尾根筋を辿っていくと、左の方にボロイ小屋の影があった。危うく行きすぎてしまうところであった。このあと昨日と同じく念入りにテントを張り、それ以上に念入りなトイレをこしらえると、クタクタになってしまった。(北山)

2004年1月1日(吹雪のち曇り)
最終日。午前4時起床。テントを撤収し、笠ヶ岳山荘前を6時10分に出発する。大きな岩がごろごろして歩きにくい夏の登山道は、雪が積もるとこんなに急登になるものなのかと驚く。
 6時30分とうとう笠ヶ岳山頂に登頂!!記念撮影をする。この頃から少しずつ空が明るみを帯びはじめ、2004年の御来光に歓声があがる。
2750m付近より、左手の尾根にルートをとり、雪崩が起きそうな急斜面を一人ずつ間隔をあけて慎重に下る。再び雪稜歩きに戻るが、左側には雪庇が大きくはりだし、右側ははるか下のほうまで急斜面がのびていて、風は強くないが固く凍った雪面と岩場まじりのアイゼン登攀に緊張感が続く。2500m付近の稜線上で、出発より3時間ぶりの休憩をとる。
稜線を登り、クリヤノ頭に到着、ここから広サコ尾根を下る。安全な樹林帯に入ったところで、アイゼンとピッケルを外す。このあたりはトレースがあったが、途中でわかんを着用、トレースをつけてくれていた先人に追いつき、その先はラッセルとなる。
樹林帯の中、雪崩の起きそうな小さな斜面をトラバースしたところで、斜度70度ほどの急傾斜が10mくらいすとんと下に落ちている場所があった。ここはリーダーがザイルをフィックスしてくれ、メンバーはそのザイルをつたってなんとか下る。
やがて夏道に合流し、岩小舎で二度目の休憩をとった後、錫杖岩を右手に見ながら、夏道通しにクリヤ谷を一気に下る。クリヤ谷の核心部であった渡渉も(私以外は)みな難なく通過し、14時50分槍見に到着。
5泊6日の縦走を予定通り終え、全員無事下山の喜びをかみしめ、最後に記念撮影を撮った。(岡本)
    

Home > 2003年2月からの山行